善い事と悪い事
- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1977/06/13
- メディア: コミック
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かなり端折られていた。
仕方ないとは思うが。
というか端折らないのであれば、原作と変わらないので要らないだろう。
そもそも「端折る」ことは、作品の中から自分の伝えたいことを強調できることに意味があるのだから。
読んでふと思ったのだが、善行と悪行は天秤にかけられるものなのか。
つまり、反語である。
これだけの利益をもたらすためにはこの程度の犠牲はやむを得ない、などという考え方は不可能だと言いたい。
(ここでいう所の「善」「悪」とはいわゆる刑法上の法益の「増」「減」と定義している)
全ての事象には表裏があり、一見悪いことも善い面を持つものである。
したがって、その事象が全体として+なのか−なのか計算したくなるものだ。
ただ、そんな簡単に足し引き出来るものではない。
極端な例としてこんなのはどうだろうか。
戦争が起これば人口が減るから環境にやさしく、また様々な技術の進歩が見込める。したがって結果的には人類にとって有意義である。
善い面、悪い面を比較しようとすると、この意見は筋が通っているように思える。
なぜなら比較することはとどのつまり「善>悪」=「善」という概念を前提としているためである。
そう考えれば、本当かどうかは別として「人を殺すことで人類は繁栄する」という考えは成り立つのである。
しかし右意見に則ったとしてもそうはいかない、いかせない。
命が奪われること(−)が人類の繁栄(+)で治癒されるものではない。
「戦争は全体としてプラス」ではなく、「戦争は人を殺し、人類を繁栄させる」である。
爆笑問題の太田光が以前「体罰は絶対に許さない。そして、もし口できかない生徒がいたらぶん殴る。」と言っていたが、まさにその通り。
これも体罰によって生徒が更生すると百歩譲って認めたとして、「体罰+生徒の更生=プラス」か否かではなく、殴る「悪」と生徒の更生「善」が並存するだけである。
善行を積めば悪行は消える?
(比較してみて)結果的に「善」ならそこに「悪」はない?
そんなことで許されないんだよ、罪ってものは。