小女子と実行行為

kentultra1の日記http://d.hatena.ne.jp/kentultra1/20080929/1222719625さんのブログを読ませていただいた。
ちょっと反省したので再考。


被告人(いや、もう犯人か)は確かに刑法上の威力業務妨害罪の構成要件に該当する行為をしている。
冗談とはいえ、不特定多数の人間がアクセスする可能性のある場所に業務を妨害するような内容の書き込みをしたのだから、形式的には。
いくら元が「明らかな冗談」でも因果の流れの中で実行行為性を持ってしまった。
だから起訴されれば有罪となる。
でも起訴しないだろ。説教して不起訴処分ってが普通だったろうね、1年前なら。
う〜ん、難しい。


ただ!しかしながら!罪人はそれにとどまらない。
当該書き込みを「全くの冗談であること」を認識しながら公衆の面前に晒した者。
これも充分威力業務妨害罪に該当する。
あるはずのないことを知りながら「明日〜が〜で〜を殺す」とふれ回る行為だからねぇ。


問題は「あるはずのないことを知りながら」の立証。
「本気にした」と言えばもう覆せない。
う〜んどうだろ、書き込みから「本気にしてなかった」って証明できるかなぁ。
まぁいいや。
もし「本気にしていなかった」としたら、違法の程度は同じ。
いや、元の掲示板を見れば通常「(悪質な)冗談」とすぐにわかる、つまり実際業務に支障はきたさない程度の書き込みであるモノのに真実味を与えた分だけ違法性高いかもしれないですね。


世が世なので検察もピリピリしていたのでしょうか。
なんか見せしめの臭いがプンプンしますね、間違っているとは言い切れませんが嫌ですね。


情報もないのに好き勝手なことを言う愚かさを思い知った今日この頃です、またやってしまうかもしれませんが・・・。

裁判の方式について

最近友人から法律の相談を受けることが何度かありました。
そこで思ったこと、みんな裁判の方式について知らないのです。
損害賠償と罰金と懲役がゴチャゴチャなんです。
モチロン知らなくて当たり前といえば当たり前、知ってる方が変なんでしょうが、知っておいた方が良いと思うのでホント簡単に記します。


まず、法律は6つだけじゃない!
これは知ってますか、すいません。
でも「六法全書」なんていうから、「法律って6つだけ」って思っちゃいませんか?
昔、僕はなんとなくそう思ってましたw
実際日本の法律はたしか・・・条約、条例なども含めるとですが、7000以上あるなんて聞いたことがあります。(国家公務員法地方公務員法地方自治法、国会法、内閣法、裁判所法etc...)
六法とは全ての法律の考え方の基本となるものなんです。だから法律学としては六法を中心に勉強します。


では本題。
裁判のやり方って、大きく分けると2種類あります。
民事裁判と刑事裁判です。


民事裁判は個人or団体(原告)が個人or団体(被告)を訴えるものです。(以下「個人or団体」は「個人」と称します)
刑事裁判は国家(検察)が個人or団体(被告人)を訴えるものです。


民事裁判は個人が個人に何かを請求するものですから、「〜をよこせ」「〜の損害を賠償しろ」「〜は私の物だ」という、個人に直接利害のある事柄について争います。(どっちかが得することについて争います)
対して刑事裁判は国家が個人を糾弾するものです。(経済的利益は関係ありません)
個人、国家、社会に良からぬことをしたモノに対して罰(罰金刑、懲役刑など)を与えるために争います。


損害賠償は民事裁判のテリトリーなので個人から個人に支払われます。
罰金は国家が個人を罰する手段としてのモノなので個人から国家に支払われます。


例をあげます。
「AがBの夫であるCを殺した。」
この場合、Cの妻であるBがAを訴えるには、民事裁判の手続きをとります。
そして「不法行為(民709条)」を根拠に損害賠償を請求します。
国家がAを訴えるときは刑事裁判の手続きをとります。
そして「殺人罪(刑199条)」を根拠に刑罰を求めます。
このように一つの出来事について2種類の裁判方式をとるのです。


ではもう一つ例を。
「AがBを騙して高価な壷を1000円で譲ってもらった。」
この場合はどうなるでしょう。


民事裁判なら、「詐欺(民96条)」を根拠にBがAに対して「壷を返せ」と請求します。
刑事裁判なら、「詐欺罪(刑246条)」を根拠に国家がAに対して刑罰を求めます。


何度も言いますが、個人が訴えるなら民事裁判、国家が訴えるなら刑事裁判ということです。
(ちなみに「個人→国家」は民事裁判です。個人が訴えてますから。)


最後に。
刑事裁判だけでは、被害者に経済的利益はありません。金銭的に補償してもらいたかったら民事裁判手続きをとりましょう。
そして刑事裁判で訴えられなくても民事裁判手続きをとられることはあります。「この程度の軽い罪なら警察も動かないだろう」なんて思っていると個人から損害賠償請求をされるかもしれないので気をつけて!

絶対可憐!だから負けない!

こんな数式を見た。(a2、b2はともに〜の二乗を表す)
     a=b
     a2=ab
   a2-b2=ab-b2
(a+b)(a-b)=b(a-b)
    a+b=b
     2b=b
     2=1

明らかに矛盾してる。
だからこれはどこかに矛盾点があるに違いない。
僕なりに考えてみた。






これって4段目に矛盾点があるような気がする。
(a-b)はこの場合0(ゼロ)のこと。
これを取り除くのは反則だろう。
言ってみれば
8×0=4×0
  8=4
ってことでしょ?
そもそも8×0と4×0はイコールなの?(こっから思い切り文系になるつもり)


a×bとは「aがb個あること」って教わった。
ってことは「8が0個ある」のと「4が0個ある」のって違うじゃん。
たしかに結果をは違うかもしれない。
しかしそれは「0」が不存在を表すという特殊性からである。
「ある」と「ない」は対義語であって対極に位置していない。
「ある」は多種多様で「ない」は一つ。
そう、「ない」は絶対なのだ。
「8×0」と「4×0」は結果的には「ない」、つまりたった一つの絶対である。
(しかし、それはもはや概念ではない。というかなにも語れない。概念としては「ある」のである。「ある」とすれば、この二つは全く異なったモノである。これがトリック、というか見せかけ。「ナイモノ」を「あるもの」でしか表現できないゆえに生まれる騙し絵)


無から有は生まれない。
4段目で「0」を作った時点でそれはすでに終わっている。
だってなくなってしまったのだから・・・。
でも数式として「ある」から進めてしまえる。
でもそれはホントは「ナイモノ」。虚。残像でしかない。
だから矛盾するのだ。


ここで本題!!
「絶対可憐 だから負けない♪」
これって深いよね〜。
一見「可憐と負けないってどうつながってるの?」なんて、また「負けないって何に?」なんてつっこみたくなる。
でもそれは違う。
重要なのは「可憐」じゃなくて「絶対」の部分。
「絶対」というのは「相対」の対義語。
つまり比べられないのだ。
比べられないのだから負けない。
何に負けないか?そんなことはどうでもいい、だって「何」という存在自体がないのだから「絶対」という概念には。


これが言いたかったんだ。

部屋と落書きとわたし。

壁の落書き問題についてなんかTVでやっていたので、酒の肴に見ていた。
壁の落書きで困っている人たちがいるんだとさ。


落書き消すには金(or労力)がかかる、そしてちょっと残る。
ちょっと残るってのはとても残念ですよね。
被害者の方々は
「犯罪なんだからやめて欲しい!」
「自分の家にやればいい!」
などと怒っていらっしゃる。


まず最初に、誤解を生まないように言っておこう。
壁の落書きはダメです、最低の行為です。
理由は二つ。
一つは、周りの人が迷惑するから。
そしてもう一つは・・・これは後ほど。


さて、怒っている方々の意見は正論です。
でも、それは生産性のない意見だと思います。
まず犯人だって犯罪だということくらい知っている、ということ。
むしろ悪い事だとわかっているからやっているという意味合いもあるだろう。
いわゆる「武勇伝」wってやつですね。
また、番組の考察としては、ロゴを記すことで自分の領地にする、という感覚でやっているらしい。
そう考えると自分の家に落書きはしませんよね、だってすでに領地だからね。


犬がおしっこかけるのと同じ感覚なのかな?
犬に聞いたことがないからわからないけど。
いや、日本語で聞いたことあるんだけど、答えてくれなかったんだ。
(まぁつまり言ってしまえば犬の脳みそ並の思考で動いているというわけだなー)
そう、犯人らは犬並の思考で動いている、つまり大して何も考えてはいない。(犬並の脳みそしか持っていないということではない。単にそのくらいの思考しか使わないで落書きをしているということ。だから思考が罪悪の意識まで到達しないということ。)
じゃあ何を思っているか。
「カッコいいか」否か、である。(と出演していた准教授も言っていた。)
あ、ちなみに犯人は(実際に見てないからわからないが)中高生が多いらしい。


そこで、落書きを減らすことに成功したある街についてその准教授が面白い事を言っていた。
(要約)「街の人たちみんなで掃除す・・・・。・・・子ども達もその活動に巻き込むことで、その世代の犯人たちが『自分たちのやってることってカッコ悪いんじゃないか』って雰囲気を作り出したことが撲滅の一つの要因でしょう。・・・」


これが一番効き目あるんだろうね。
だって武勇伝としてやってるんだよ、わざわざ法を犯してまで。
それが全然イケてなかったらやめるよね。
他に生産性ないもの。
もちろん、アートとしてやる人もいるんだろうが、それは少数派でしょ、というかみんながアーティストの感覚でやってたら僕は出家しますよw(アートとしてもダメだよモチロン)


ここで出てきた二つ目の理由。<落書きはダメ


センスないから。


このことに気づかせる、というか雰囲気として「ああ、カッコ悪いのか」って価値観を作り出すってのはとても有効な解決策の一つだと思った。


カッコ悪いよ、壁に落書きって。
面白くともなんともないし。(そりゃ伊集院光の力をもってすれば面白くはなるけどね@某コーナー)
外国で歴史的建造物に落書きしたって事件のときもそんなこと言ったけど、センスないのでやめてくださいね。あのタグってヤツ?ダサいよw


最後に、落書きあると犯罪増えるんだって。
汚い(落書きって汚いよねー)と人が近寄らなくなるから犯罪を起こしやすくなるんだとさ。
・・・部屋の掃除しよ。

大人の階段は何段?

民法上の成人年齢を20歳から18歳に引き下げるという案について反対が約80%とな。
反対の主な理由
「経済的に依存している」
「法的な考え方が身についていない」(反対解釈による)
消費者問題、金融に関する知識がない」(これも反対解釈による)


なんとも説得力のない意見ですこと。
「経済的に依存している」ってのは22歳まであり得ることで、一概には言えない。
「法的な考え方を身につける教育」「消費者問題や金融に関する教育」が整えば良いって言っても、じゃあ20歳の人間がどれだけ法的思考ができるか、消費者問題を理解しているか、してないよね。
知識的な問題だとしたら、いわゆる「振り込め詐欺」ひっかかってる大人多いですよ。
そもそも未成年だって営業を始めたり結婚すれば、私法上は成年として扱われるんだし。


で、結婚の年齢は据え置き(男性18歳、女性16歳)が60%強だと。
あー、矛盾してるよー。
前述の通り、女性は16歳から私法上成年扱いされる可能性あるんですよ。
さっき反対した人、なんで据え置きに賛成できるんですか?
そんなことよりも、男女で結婚の年齢が違うってことに問題を感じたりはしな・・・これはまた別のお話。


そして一番ぐったり来たのは、「今の若者にはいろいろ問題があるという意見があり・・・」ということ。
今の若者に問題がある?(しかも「いろいろ」ってひどく曖昧www)
それソースどこ?
問題があるとしたらそれは現代の社会全体であって、若者だけじゃないと思うよ。
大人(若者の対義語として使っています)も結構ひどいもんですよ。
伊集院じゃないけど、モンスター多いよ、ありゃ大問題(いや大迷惑か?)だよ。
(まぁ日本で一番問題があるのは福田首相率いる内閣、国会じゃないかな?彼らこそ未成年として手厚く保護してあげたら?)


まぁ好き勝手に批判しましたが、僕が思うには、そもそも成人年齢を18歳に引き下げる必要はないのではないか、ということ。
憲法改正に関する国民投票法が18歳って規定しているからってだけでしょ。
わざわざ民法まで合わせる必要ないじゃないですか?
反対側意見の説得力は全然これっぽっちもなかったけど、変えたくない人が80%いるってことは大事。
反対するのに特に理由なんて要らないんですよ、ただ「必要ないから」でいい。
法律は文化には勝てないのだから、必要性を充たすことなく変えることはないです。
(逆に必要なら変えても構いません、だって特に反対する理由なんてないのだから、僕はね)

ナメられてるねぇ・・・。

日本のお話です。


国民主権という言葉があります。
簡単に言えば、主権が国民にあるってことです。
わかりやすく言えば国民で国家を作っていきましょう、維持していきましょう、という意味です。


それを純粋に貫くと、国の動きは国民全員で決めていくことになります。
でもそれでは国民は自分たちの生活に一生懸命なので、政治のために使う時間が足りません。したがって国家破綻につながります。
だから「アタマノヨイ」専門家に代表して国を動かしてもらいます。
それが国会です。
そして国会は自分に投票してくれた国民の代表というわけではなく、全体の・・・・


おお、話がズレていく!
そう、ここで大事なのは「国民は忙しくて政治について考える時間がない」というところ。
ここで僕は国民主権という考え方に疑問を抱く。矛盾してない?
じゃあみんなが政治について考える社会なんてあるの?
つまらないと思ったら考えないでしょ。他にやらなきゃいけないことがあったら考えないでしょ。
政治に無関心な国民って、正常なことじゃないだろうか。


その正常な人たちが忙しい合間をぬって片手間に選んだのが国会議員です。
国民の代表者?片手間に選ばれただけの凡人、クラスの学級委員と変わらないのです。


そんな人たちが行政機関と戦えるわけがない。
行政の言いなりです。
行政がミスをします。
大臣が責任を押し付けられます。
でも大臣はだいたいいつも国会議員(片手間云々・・・)なので「なんで自分が謝らなくちゃいけないのさ!」って気分。
その結果、桝添さんや太田さんのような態度や発言になります。


でもノープロブレム、国民はあっという間に忘れてしまうのですから。
最近も「居酒屋タクシー計画」によって国民は年金問題のことを忘れたしね。
今回だって、僕たちにはどうすることもできないにもかかわらず総裁選を盛り上げて、でマスコミを独占していつの間にか自民党がずっと与党でやっていく、みたいな雰囲気作っちゃったし。


日々忙しく生活している国民がこうやってナメられているのは許せない。
なので最近は、政治関係のニュースはプロレス中継を見ている気分で鑑賞しています。
そうすると結構おもしろいよ、白熱してて。

「〜が自殺を助長する」

森山直太郎の「生きていることが辛いなら」という曲が自殺を助長するという批判があったらしい。


あんたバカぁ!?助長しません!


とにかくツッコミどころが多すぎて困ったなぁ・・・。
えーと、自殺する人はこの曲を聴こうが聴くまいが自殺するし、しない人は何百回聴いてもしない。
この曲のせいで自殺した人がいたとしてもそれは歌詞がいけないのではなくて、波長があっただけ。童謡「ぞうさん」を聴いて自殺を思い立つことと変わらない、つまり例外的な現象であると捉えるのが普通だろ。


こういう批判をする人をなんで批判したくなるかというとそれは「問題に真正面から向き合うことを放棄しましたけどなにか?」(おぎやはぎ風)と、胸を張って公言しているように聞こえるからだ。
じゃあなにかい?森山直太郎のこの曲を聴かせなければ自殺がなくなるのかい?
自殺を減らすにはどうすればいいのか、(「自殺の減少=善である」ことが前提です)そう考えたときに、ちゃんと解決しようと思っている人は少なくともこんな結論には至らないはず。
たしかに理由をつければ安心する。
表面的には社会の秩序は保たれるかもしれない。
しかし、これは根本的な解決になっていない。
そして安心したいがために他人の「表現の自由」を侵害しようとしているというのは、浅はか極まりない発想。


秋葉原の事件における、いわゆる「ダガー問題」も同じだよね。
それは問題のすり替えであって逃げでしかないのです。


だからこう言いたい、放棄してるんなら少し黙っててもらえませんか?